Bok No Bibrok

日々の考察。

作品とそのインスピレーション

作品を作るにあたり、多くの場合、作者のイメージやそれを通しての受け取り手へのメッセージに対し、様々な試行錯誤が行われます。

「こうしたら思ったように伝わらないかもしれない」「これじゃ不自然さが出るかもしれない」、そういった細かな表現の吟味をたくさん積み重ね、一つの作品が出来上がっています。

これらの努力の結果、作品を受け取った人それぞれに、同じような感覚を味わわせることができます。

ただ、最近そううまくいかないことも多いのだろう、と考えるようになりました。

というのも、様々な表現方法により同じような「事態」を作り上げたとしても、その「解釈」は受け取り手の価値観によって完全に左右されてしまうからです。

例えば、「様々な困難を努力で乗り越えた」というストーリー(事態)を作り上げても、

「やっぱり自分を信じて努力すれば報われるんだ、頑張ろう!」というように捉える人もいれば、

「こんなの所詮フィクションの中での話で、自分の努力が報われるとは限らない。だからできるだけ楽をしよう」というように捉える人もいる、ということです。

事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。

フリードリヒ・ニーチェ

思想家のニーチェがこのように言っていて、まさに、って感じですね。

しかし、このような「解釈」の差に対しても、「事態」を生み出すプロセスの工夫でどうにかなるのものなのかは気になるところですね。

というのは、ヤンキーが実際に更生した時のようなプロセスを正確に再現できれば、大半の人には価値観がポジティブになるような「解釈」をさせることができそうだ、ヤンキーが変わるくらいなんだから、というイメージです。

自分が何かを通じて感じ取ったことが、他人にも共通したものではないかもしれないというのは、忘れがちですが大切なことですね。

だからこそ好きなものが同じだったときはとても嬉しいのですが!

P.S.
かつお節が好きです。