生命とは何か
この区別は、シンプルに考えると「動くもの」と「動かないもの」だ。
つまり、人間や犬には生命があり、ペンや東京タワーには生命が宿っていないと考えることが一般的だ。
しかし、本当にそうだろうか。
原子レベルで考えると原子は常に「熱振動」という運動を行っている。
したがって、この視点で考えると全ての物質に生命があるとも言える。
よくある我々の基本思想は、もう少し異なるものだ。
「意識を持つ」、ことである。
私たちはそれを、「生命」と呼ぶ傾向がある。
さて、「意識を持つ」とはどういうことだろうか。
例えば、この定義を「自律した判断を下し、自ら行動するもの」としてみる。
この定義であれば、原子の熱振動は、自律した判断というよりもプログラムされた自動的な運動と捉えることができるため、生命ではないと考えることができる(バネを縮めて離したときの運動に意識を感じないように)。
対して、人間を始め、動物、虫などには、身に迫る危機をその時々で様々な判断をし、行動しているようにみえる。
よって、意識を持っていると考えられるため、生命だと言える。
(ただこの方向性で考えた場合、食虫植物などはかなり微妙な立ち位置のように感じる)
これでなんとなく生命か否かの区別がついただろうか。
しかし、ここで重要な問題が発生する。
「意識を作り出している源はいったい何なのか」
一律な意識であれば「脳が作っている」と判断を下してしまっても問題ないように思うが、「人間の多種多様な性格、価値観の根源」を全て均質に脳が作っている、と考えるのはどうも釈然としない。
2018年現在、「意識を作り出すしくみ」については残念ながらほぼ未解明だ。
ただ、「脳に蓄積した統合された情報が意識を生み出す」や、「脳に蓄積した情報を処理する神経アルゴリズムが意識を生み出す」など、いくつかの仮説は考えられているようだ。
ところで、これらの研究が実を結び、人類が意識を作り出すことに成功したあかつきには、遂に「自我を持つ人工知能」が生まれることになる。
上の定義で考えればこれは「生命」だ。
はたして、彼らはこの世界においてどのような立ち位置を取ることになるのだろうか。
彼らに人権を与えるべきなのか?
彼らは人間をどのような存在として認識するのだろうか?
もし彼らが人間を殺してしまったときはどうするのか?
未だ解き明かされていない「意識の構造」はある種のパンドラの匣なのかもしれない。
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