Bok No Bibrok

日々の考察。

生きたいと思うこと

生物学的に考えると、生命は繁栄するために存在しています。

したがって子孫を残す機会を増やすということを重きに置けば、生きる(時間軸を延長する)ことは、ほとんど全員が本能的に望んでいると考えていいでしょう。

しかし、現代においてそんなことを理性として考えている人はほとんどいません。

もっと身近な、仕事の話だったり、人間関係だったり、恋愛のことだったり、将来のことだったり、ソシャゲの攻略法だったり。

そういった、人間ならではの、現代ならではの事象に、われわれの考えの大半は左右されてしまっています。

そんな今だからこそ、原点である「ただ生きること」それ自体が目的だったはずだと立ち返り、社会や誰かの評価なんて気にせず、なりふり構わずに生きたっていいのではないでしょうか。

そうであれば、みんなと同じような生活ができないとか、やりたくない仕事をできるだけしたくないとか、家庭や子供を持たず気ままに生きたいなど、様々な人がいても、それは(自身にも他人にも)許容していいものなんじゃないかなぁ、と思います。

あくまで道徳的に、倫理的に許容できる範囲で、ですが!

インターネット、そしてSNSの繁栄によって、以前よりも格段に比較対象が増え、また比較すること自体も容易になってしまったことも、大きな要因でしょう。

自分の感情があくまでそういった外部要因的な環境で出来上がっているかもしれない、ということを理解できれば、意識的に「比較しない」という選択も可能なのではないでしょうか?

いま一度、ひと呼吸おいて、「目の前のこと」や「自分がなぜそう考えているのか」に焦点あててみるのも、大切なことかなと思います。